スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/-- --:-- | スポンサー広告  

【ネタバレ有】ペルソナ5 レビュー 悪党を倒した悪党が受け入れられちゃったよねという話

ペルソナシリーズ新作をクリアしたのでつらつらと気になった点を書いてみる。

ネタバレ全開なので未クリアの人はクリアしたあとに見ることを強く推奨します。


本作は主人公たちが怪盗団を結成し、法で裁けぬ悪党を改心させていくダークヒーロー物のRPGです。
特殊な方法を用いて悪党を改心させることができるので、それによって社会にのさばった悪党に罪を認めさせていくという痛快なストーリーがウリでした。

が、実際はこれ、狂信的な犯罪者が別の犯罪者と共食いしてるようなものですよね。

最初の事件では社会的に地位のある教師が生徒に体罰をくわえ、
女子生徒には関係を迫り、
自分に反抗的な部員がいれば故意の事故で陸上競技での選手生命を絶つ、
という最悪の手合いが相手でした。

挙げ句の果てには女子生徒を自殺に追い込み、
それを追求してきた主人公たちを退学に追い込もうとします。
親や学校は見て見ぬふり、
主人公たちは学校のはみ出しものなので周囲に訴えても信用を得られないと八方塞がり。
そのため、降って湧いた特殊な力を用いて教師を強引に改心させるという手段をとりました。

反抗の意志をしめし自身の正義によって理不尽な悪を討つ、そういった閉塞感を打ち破る作風が魅力的だったわけです。


悪党を改心させる怪盗団。しかし……。


二件目の事件からは徐々に赴きが異なってきます。
自分たちに関係がない社会悪を討つ、と行動をし始めました。
メンバーが満場一致で同意した、法で裁けぬ悪を討つ、というものです。これ自体はストッパーも存在しますし、プレイヤーも相手の劣悪な振る舞いを見せつけられるので、これはやらざるを得ないと納得ができます。しかし、主人公たちの善意は暴走していきます。

主人公たちがやっていることは、どんな言い訳をしようとも「他人の精神を理不尽に書き換えている」、つまりマインドコントロールなわけです。さらに主人公たちと敵対する社会悪も同様の手段を用いて人を操っていました。

ゲーム中でも何度も「主人公たちがやっていることと相手がしていること、どれほどの違いがある?」と問いかけられます。自分が中盤にかけてまでこのゲームを楽しんでいたのは、きっとそういった問いに答えながらも不器用にも正義を貫こうとする姿を見せてくれるのだろうと期待していたからです。

が、怪盗団の主張は最後までずっと一貫し続けていました。

「自分たちは他人のためにやっているので貴方たちとは違う」

これです。
他人のためにやってるので悪党をマインドコントロールしようが問題ない
そんなわけあるか!

しかも他にこう言います。
「正義とは自分たちが決める」「俺たちが正義だ」「俺たちはヒーローなのに」「救世主」。
犯罪という手段を用いながらずっと言い続けます。

「自分たちが正しい。怪盗団を否定するのはおかしい。なんで認めないんだ?」。
テレビで否定的な意見が流れただけで「うざっ」「そのまま自爆して炎上しろ」と呪詛を口にするメンバーまでいる。

挙げ句、みんなのためにやっていると言うにもかかわらず、ラストダンジョンでは消えていく一般人を見て「これでも目を覚まさないなら面倒見切れない」等々あっさり見捨てます(まあ別に助けられる状況でもないですが)。

メメントス最深部で幽閉されている一般人から否定され、けれど予防線として「それでもお前たちのことも尊重するから関わらないでくれ」と大人な対応をされたら拗ねて「ふん。そこまでいうなら好きにしろ」と吐き捨てる。

「自分たちのことは正しいから手段も正当化されるし、みんなのために戦うけど、自分たちに否定的な人間は見捨てるよ」これって完全にあれですよ。過激派武装組織の理屈じゃねーか!


もちろん、主人公たちは高校生ですし、実際に自分たちのお陰で助かった人間を見ているので、「自分たちのやっていることは正しいんだ」と妄信してしまうのは致し方ないことです。犯罪だから無条件にダメです、みっともないことです、なんて言い捨てるのは当人たちの活動や境遇を軽視しすぎてうんざりしますが、同時にダメなことはやっぱりダメなわけです。


構造的欠陥 不在のアンチテーゼ


主人公たちに自分の非を認めろというわけではなく、現代日本という論理感的には現実的な世界でもって、彼らの欠点が追求されなかったこと。それが据わりの悪さの正体です。
プレイヤーとしては主人公=自分ですし、怪盗としてスタイリッシュに活躍したいという欲求は当然あるわけで、「怪盗行為をしたいのに、説教めいてそれはいけないことだよ自制しなよ」と言われても「エロゲで中出しを注意された主人公が以後コンドーム着用セックスをし始める」みたいなお説教感があるかもしれません。

なら、作品に対立思想を出しておくべきでしたよね、というのがペルソナ5の欠点です。ペルソナ5には、主人公たちの怪盗行為にとって都合の良い人間しか敵にでてこない。

中盤までの評価がいいのは、明智吾郎という探偵キャラクターが存在したからです。
探偵として有名な彼は怪盗団を非難し、法的な正義(社会と折り合いをつけてルールに乗っ取った裁き)の側を象徴して発言してくれていました。だから、主人公たちは怪盗団はおかしくないと思っているが、やはり社会的には明かに悪だし、おかしい。そういう立ち位置を明確にしてくれるのが明智というキャラクターの役割でした。

ですが、ゲームをクリアした方にはおわかりですが、明智は悪党でした。社会正義を主張していた人間も悪党で、怪盗団を追い詰めようとしていたわけです。これは一見して都合の悪いことのように思えますが、ところがどっこい、自分たちを否定していたのが善人ではなく悪党なら怪盗団の正しさが証明されるのだから、思想的には都合が良いことこのうえないでしょう。

このように、ペルソナ5で気になるのは、主人公達に都合の良い悪い奴しか敵にいなかったという点に尽きます。
この都合の良いというのは、見逃してくれるとか組織単位なのでなかなか検挙にこないとかそういったフィクションにおいてなんの意味ももたないナンセンスな話ではなく、ひとえに「正しい人間が敵にいなかった」。これに尽きます。

たとえば、前作ペルソナ4にいた堂島さんみたいなデカが敵にいたら、主人公たちはどうしたのでしょうか?

怪盗団は歪んだ精神を持つ人間のパレスに侵入し、オタカラというものを奪うことで改心させることができます。つまり、歪んでない人間にはパレスがないので改心ができない。そもそも主人公たちには善人を止めることはできないし、善人を止めることは彼らの思想に反するので、手出しができない。

しかもこの善人とは聖人君子である必要はなく「彼らは犯罪をしている。許せない」程度の義憤があるならオッケーなわけだから、そういった人間が止めにきたらもう終わりです。
百歩譲って、敵対者には後ろ暗いところがあるので正義感など1ミリもない警察官などが送り込まれ、正義漢は事件から遠ざけられるとしましょう(どんだけ人数いるとおもってるんだって話ですが)。

でも主人公はコープを結んだ相手には軒並み怪盗団であることがバレてます。なんでひとりとしてその行為に異を唱えないのでしょうか。自分たちがその力に救ってもらったから? それだけで口を揃えて肯定するの?

正直、明智は主人公たちと同じ力を持つという立場から、「仕方ないことかもしれないが、だからといって許される行為ではない」と批判的ながらも協力してくれるペルソナ使いとして作品の視野を広げてくれるのを期待していたのですが、完全に真っ黒な人間だったのですごい勢いでがっかりしました。

いや、ああいうキャラ大好きなので明智自体は大好きなんですが、彼のそれまでのポジションを受け継ぐキャラもいなかったので、結果的に作品の広がりが減ってしまったんですよ……。ぶっちゃけ明智というキャラは作中キャラでも屈指のお気に入りですよ……。

社会的な正しさとの対立がなく、対立がないということは思想の成長がない。結局、スキルは磨けたが精神性に変化がなかった。それが達成感を減らすペルソナ5の構造的な難です。

ちなみに。対立者には検事であった新島冴もいるわけですが、
彼女は「功を焦るあまり精神が歪んでいた」ので、怪盗団に改心させられました。
逮捕されそうで危なかったので「みんなのためではなく、自分のため」に力を利用しているんですが、それも他人のためカウントになるんですよね……。いや、理由はあったけど、そういうところに無自覚だよな怪盗団。


悪党優位世界


ただ、擁護としては「そんな善人がいるなら、そもそも主人公達は怪盗団になろうとなんて思わなかった」といえます。誰も助けてくれなかった(助けてくれる人がいない)、そんな世間だから怪盗団が産まれたのだ、と。

周りには悪党だらけで、腐った世の中だったから。同じく犯罪で対抗するしかなかった。
でも結局のところ、そんな犯罪を用いる怪盗団が最終的に支持率100%になって受け入れられたのって、
この世界にはそれだけ悪党がのさばっていて、だからこそ抵抗なく怪盗団が受け入れられたんじゃないのか? つまり自分たちは違うといってたのに、結局同じ存在として受容されたんじゃないの?

正義を名乗るくせに、悪党だらけの世界でしか認められない。そんな座りの悪さを覚えずにはいられず、結局ラストのラストも「仕事として主人公を監視している警察官達の車を破壊し、休暇を楽しみにいきました。ちゃんちゃん」なわけです。
犯罪なのは判ってる、でもやらなければいけないことだった、というのが怪盗団の活動のはずで、だからこそ、どうやって成長して社会との折り合いをつけていくのか? というのに期待していたわけですが、結果としては主人公たちはついぞ自分たちの犯罪性は否定しつづけ、自分に甘い行為をし続けました。

無法なおこないをしているくせに自分は善人だと思っていて、だから邪魔する警官も敵ですよ。なわけです。
どっからどう見てもただの悪党だし社会のルールの恩恵にあずかってるくせに「正義は自分たちで決めるから」とか口にして都合の悪いものは見て見ぬフリをするなんて、結局最初の頃の学校で疎まれるヤンキーの考えから抜け出せずに終わってしまったな、というお話でした。

ラスボスも「人類のために」やってることだけど怪盗団は「他人のためとかいってるけどそれって自分のためじゃん!」とかいいますし、「そんなこと望んでない!」とかいいます。ちなみにその前に怪盗団は「望んでなくても、(他の連中を)救ってやらなくちゃな」とかいってたりするので、大概言葉がそのまま自分たちに返ってきてます。

ちなみに


ここまで散々な物言いですが、ペルソナ5自体はすげー良くできた作品ですし演出もストーリーもよく練られているし、間違いなく良作です。心理的な抵抗を無視するなら傑作と呼ばれても否定することはないでしょう。それだけのパワーは間違いなくある。
そもそもここまで書いてきたことも、開発が自覚してないとは思えないわけですよ。学校の授業で「確信犯」の意味を説明したりと色々記号は振りまいていたわけですから。

ストーリーだって、抑圧からの解放、理不尽への反抗。閉塞感の打破、と現代社会を反映したテーマが据えられていますし、その中で怪盗というピカレスク・ロマンな立場を取り入れたのはさすがとしか言いようがない。怪盗物をパロディするようなパレスの数々、スタイリッシュなアクション、作品世界へのめり込ませてくれるUIの設計に操作性の高いシステム。尋常じゃない熱量でした。

ラストの「神が世界を滅ぼすというなら、悪の王にて滅ぼす」「(神から)世界を奪う」という流れだって盛り上がりは最高ですし、最後に奪うのは世界ですよ。世界。最高じゃないですか。これ以上ないほどデカイものを盗み、理不尽な支配者から人間の世界を取り戻すなんて「奪う」というネガティブさのあるワードを用いた肯定的なフレーズはこれぞ怪盗、これぞダークヒーロー、という倒錯的な希望に満ちあふれてるじゃないですか。ラストの銃で神を撃ち貫いて決別する、最高。

そして日常に帰った主人公たちは「もう能力なんて使わずに、いや使わなくたって世界は変えられるんだ」と社会に向き合い、そのうえで目に見えないものに縛られずに自分の好きなように生きていくんだ、生きていてもいいんだと開放感のある終幕。大人たちだって、これからは君たちのしたことを無駄にしないと言ってくれた。世界は変わるのだ。そんなこれ以上ないほど希望と夢に胸が膨らむ終わり方だったじゃないですか。

だから、だからこそですよ。「自分は正義。自分のことを信じる」という耳障りの良い言葉を怪盗が最後まで信じ切ってはいけなかったし、自分の悪徳を自覚すべきだった。自覚したうえで「それでもやりたいから、やるんだ」とやるのでは雲泥の差があるし、犯罪と判っていても信念を貫くことが求道者としてのダークヒーローのかっこよさではないのか?

だいたい「能力がなくても世界は変えられる」とかいってますけど、最後の戦いで能力失ってなかったら多分そんなこといってないですよ。だって能力がなくなった状態で主人公を出所させようと奔走したからようやくそう思えただけだろうし、能力失ってたら絶対改心で対応してたもの。結局8ヶ月近くのゲーム時間では成長せずに、後日談の2ヶ月でようやく社会性を少し獲得したってそれは……。

結局、恋愛コミュでの台詞であった「悪の幹部ってかっこいいよね。何度やられても続けるって信念があるってことでしょ」みたいな台詞に見て取れる通り、「信念があるなら何をしてもいいのか、何度も倒れたということは何度も倒す存在がいたということで彼らの信念はどうなのか、そもそもその悪役でどれほどの人間が不幸になったのか?」を想像できずに、「社会に反抗する信念って、かっこいい」という上辺だけしかくみ取ることができなかった人間が野放しになってしまった。自分たちが正しいと錯誤したまま。そんなボタンを掛け違えたような、そんな終わり方になってしまったのだけが酷く悔やまれるのでした。

好きなんですけどね。子供のわがままで大人が振り回されたり大人のルールを打ち破ったり、そしてそんな若者を眩しく思う大人っていうの……。理屈の上では悪だけど感情的に理解できるし助けてあげたいと思う大人が考えたってみっともなくもおかしくもないし、「そういうのはおかしいこと」ってフィクションですら抑圧する自称・大人の考えみたいなのもうんざりなので、理不尽を打破する怪盗団というメイン骨子は良かっただけに、成長がなかった子供たちの思想に寂しさを覚える……のでしたとさ。

そういえば、最近の若者像って、身内には甘いがそこに苦言を呈するのは全員敵ってものなんですかね? 鉄血のオルフェンズの鉄華団も似たような考え方してましたけど。
身内には甘いけど外部には徹底的に攻撃的な高校生を見るのは疲れたよ……。


2016/10/16 23:59 | 雑記COMMENT(0)  

 | BLOG TOP |